今回は、2021年6月11日金 チコちゃんに叱られる!「▽シャベルとスコップ▽大根をゆでると?▽時計の謎」の番組内容を紹介。
なんで時計は12時までなの?
確かにほとんどのアナログ時計は12時間ですね。
いったいなぜ?
なんで時計は12時までなの?
本日の3つ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、時間を守る紳士的な大人ってだーれ?」
今日は先発していない岡村さんが立候補して回答者に。
3問目は視聴者から寄せられた疑問。
問題は、「なんで時計は12時までなの?」
岡村さん「12だとバランスがすごくいいから。」といった旨の回答。
もう少しシンキングタイムが欲しかったようですが、速攻で、チコちゃんに叱られちゃいました。
佐藤さんにも聞いてみると、
佐藤さん「1年が12か月に分けられているのと関係があったり?」と聞いてみます。
チコちゃん「1年が12か月というのとは関係ありません。」と全くそっけなく。
チコちゃんの答えは、「シリウスのせい」
シリウスのせい
解説してくれたのは、明石市立天文科学館の井上毅館長。
シリウスとはオリオン座の左下に見える地球から最も明るく見える恒星。
そもそも時間というのは「夜が12時間」から始まりました。
この12時間のルーツは古代エジプトに。
エジプトではナイル川が増水する時期がとても重要でした。
ナイル川が一定間隔で決まった時期に増水。
これに古代エジプト人が気付いた事がそもそもの始まり。
エジプト文明は、紀元前3000年ごろにナイル川に沿って発展。
乾燥地帯という事もあって雨がほとんど降りません。
ナイル川が定期的に増水して栄養のある土や水を運んでくれるので作物を育てることが可能な環境。
そのため、古代エジプト人は、ナイル川の増水を待ち望んでいました。
このようにナイル川の増水のタイミングが、古代エジプト人にとっては生きるか死ぬかを分ける重要なポイント。
そこで古代エジプト人が行ったのが星の観察でした。
季節によって見える星座は異なります。
星は1年かけて元の位置に。
これに気付いた古代エジプト人。
星の位置によってナイル川の増水時期を知ろうとしました。
その方法が、10日ごとに新たに観測できる星の中から目立つ星を選んで基準の星とします。
これをどんどん繰り返していき、基準を36個選択。
その次には最初に選んだ基準1の星が再登場。
この事から夜空は360日で一周すると判明。
この時に36個の基準に選ばれた星は、シリウスとオリオン座という2つの星だけが判明。
その他は史料が残っておらず不明。
そして古代エジプト人は、シリウスとナイル川増水のタイミングにある重なりがある事を発見。
「ナイル川の増水=シリウスが日の出前に昇るタイミング」と一致。
明石市立天文科学館のプラネタリウムでは、4000年前のエジプトの夜を再現可能。
東の空を見上げてみると、36の基準の星
(※明確な史料が残っていないので、先生が推測した星たち)
日没からどんどん数えていくと、10番目にオリオン座が姿を現し、12番目にシリウスが登場。
シリウスが見えたとほぼ同じタイミングで夜明け。
この日没から数えて12番目にシリウスが見える時期にナイル川が増水する事を発見。
つまり「夜明け前のシリウス」がとても重要でした。
そしてこの重要な日の夜を基準の星に合わせて12分割。
これが夜が12時間になった起源(紀元前2000年頃)。
その後は夜が12時間なら、昼間も12時間になるはず。
そして、1日は24時間に。
つまり、時計が12時間なのは古代エジプト人にとって最も重要な夜の時期にシリウスが12番目に現れたから。
時計の一番上になぜ12時が来ているのか?
数字の「0」の考え方がその時代には無かったことに関係。
この0(=なにもない)という考え方はインド人が発見。
3~4世紀には使われていた形跡が残っています。
(※諸説あり)
これは古代エジプト人が夜を12時間とした時期(紀元前2000年頃)から2300年ほど経った頃。
今のような機械式時計は14世紀のヨーロッパで誕生。
14世紀の頃にはヨーロッパにはまだ0が伝わっていませんでした。
本来であれば時計の一番上は0の方がふさわしい所が、最後の数字である12が用いられるようになったとのこと。
(※諸説あり)
ちなみにチコちゃんが好きな星は、オリオン座のベテルギウス。
すごく離れた星で、既に燃え尽きているか知れないのが、はかないからとのこと。
最後にチコちゃんから
世の中にはよく12個をひとまとめにする考え方があるけどこれはなぜ?という宿題。
次回のチコちゃんでは、「人はなぜ12個で物をまとめたがる?」という疑問への正解が発表されるという予告で終了。
結論
というわけで、
「なんで時計は12時までなの?」は、
「シリウスのせい」
でした。
解説してくれたのは
明石市立天文科学館の井上毅館長。
井上 毅(いのうえ たけし、1969年 – )は、日本の学芸員。明石市立天文科学館館長[1]、日本公開天文台協会事務局長[2]、山口大学時間学研究所客員教授[3][4]。
兵庫県姫路市出身[1]。兵庫県立姫路西高校[5]から名古屋大学理学部[5]を経て、名古屋大学大学院理学研究科大気水圏科学専攻修了、理学修士[4][5]。1995年から1997年まで、愛知県旭町(現豊田市)の旭高原元気村天文台に在職[1]。1997年、明石市立天文科学館学芸員[1]。2005年、軌道星隊シゴセンジャーの登場とともにブラック星博士関連業務を開始[6]。2012年、同館学芸係長[4][7]。2017年から館長[1]。
人物
明石市立天文科学館の人気キャラクター[8][9]・ブラック星博士[10][11][12][13]のマネージャー[14]を務める。
日本プラネタリウム協議会「日本のプラネタリウム史」ワーキンググループ代表[15][16]。
世界天文年2009日本委員会企画委員[17]、「めざせ1000万人!みんなで星を見よう」プロジェクト世話人代表[18]。「ガリレオ望遠鏡精密復元プロジェクト」を提案し、監修にあたった[19][20]。
金環日食限界線研究会代表[21]、金環日食限界線共同観測プロジェクト代表[22]。日本各地のアマチュア天文家や社会教育施設職員、教員、天文学者と連携し、2012年5月21日に日本列島を横断した金環日食を約3万人[23]の共同観測で出迎えた[21][24][25][26]。
時の記念日制定100周年および明石市立天文科学館開館60周年となる2020年、国立科学博物館において“100年ぶり”の開催となった「時」展覧会2020[27][28]の実現に尽力[29][30]。同展は明石市立天文科学館でも同時開催された[31]。
2020年6月10日(時の記念日、明石市立天文科学館開館記念日)には、東経135度に位置する明石市立天文科学館を拠点に、東は北海道名寄市(なよろ市立天文台、東経142度28分59秒[32])から西は沖縄県石垣市(石垣島天文台、東経124度10分16秒[33])まで計10箇所の天文施設を中継で結び、日本国内の「時差」と日本標準時が実感できる「全国天文台子午線リレー」(なんちゅう企画)の生配信を行った[34][35][36]。
2017年から2020年まで年1回発行された特殊切手の『天体』シリーズ全4集[37][38][39][40]を監修[41][42]。本シリーズは第1集から4集までを横に並べるとひとつのストーリーとしてつながっており、「上段は星の一生、下段は太陽系の広がり、最後に両者が合流する」[41]デザインとなっている。
円舘金と渡辺和郎が1997年10月25日に発見した小惑星番号10616の小惑星が、Inouetakeshiと命名されている[43]。
(Wikipediaより)
明石市立天文科学館(あかししりつてんもんかがくかん)は、兵庫県明石市にある、日本標準時子午線上に建つ「時と宇宙」をテーマとした博物館。
1960年(昭和35年)に開館[2]。日本に現存する天文科学館の中では、最初に竣工した館として知られている[3]。一番館の玄関横を通る子午線上に漏刻が設置され、また「JSTM」(Japan Standard Time Meridian=日本標準時子午線)と表示された時計塔がある。この塔は東経135度の日本標準時子午線の直上に建設されており、日本標準時子午線を示す標柱の役割もある。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では館が被害を受けたが[4][注釈 1]、1998年(平成10年)3月15日に新装開館した[4]。同年建設省が発表した公共建築百選の一つに選定されている。また2010年(平成22年)には、開館50周年を迎え、同時に建物が国の登録有形文化財にも登録されている。
プラネタリウムが特に有名であり、伝統的な手動操作の主投影機に各種補助投影機やスライドなどを組み合わせて、学芸員の肉声解説・穏やかな生声ナレーションによる生番組等を投影している。このプラネタリウムについては、閉館後にプラネタリウムを借り切って投影を行う権利が2018年より明石市のふるさと納税の返礼品となっており[5]、実際に投影も行われている[6]。
2020年2月25日、塔時計の寄贈者であるセイコーホールディングス(東京)が実施した塔時計の大規模修繕工事(外観の修繕、LED化)が完了した。塔時計は、初代が1960年の開館時に設置されたもので、2代目が1978年に設置されたが、1995年の阪神・淡路大震災で被災し、発生時刻の午前5時46分で止まったため、3代目が1997年に設置された。
地上からの熱によるゆらぎの影響を出来る限り抑えるために時計塔の最上階・16階に作られた天体観測室には、口径40cmの反射式天体望遠鏡が設置され、月1回実施される天体観望会で公開されている。
館の南側をJR西日本山陽本線(JR神戸線)と、山陽電鉄本線が通っており、これらの鉄道路線や車窓からもタワーがよく見えることから、明石市のランドマークにもなっている。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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