今回は、2021年11月5日金 チコちゃんに叱られる!「▽もみじ狩りの謎▽化石の不思議▽切手の位置は?」の番組内容を紹介。
紅葉狩りはなんで狩りっていうの?
確かに、紅葉見でなく、紅葉狩りですね。
いったいなぜ?
紅葉狩りはなんで狩りっていうの?
本日の最初の話題。
本日のゲスト紹介。
初登場の山崎育三郎さんと、オリジナルメンバーの榊原郁恵さん。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、花や木を愛する風流な大人ってだーれ?」
岡村さんのご指名で、山崎さんが回答者に。
視聴者から寄せられた質問。
チコちゃん「なんで、紅葉狩りは狩りっていうの?」
山崎さんは、「紅葉刈りというヘアースタイルがあったから。」といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「狩りじゃないとお下品だったから。」
狩りじゃないとお下品だったから
解説してくれたのは、京都ノートルダム女子大学の鳥居本幸代名誉教授。
紅葉狩りという言葉が初めに生まれたのは平安時代。
その時代においては「狩り」という言葉を付けておかないと下品であると考えられていました。
紅葉をめでるという文化は平安時代の貴族にとっても楽しみの一つ。
現存している文献で紅葉狩りという言葉も登場。
平安末期の歌人である源俊頼の和歌。
「しぐれゆく かたのの原のもみちかり たのむかけなく ふく嵐哉」
「山で紅葉狩りをしようとしたが、強い風が吹いてきてしまった」
平安時代の貴族たちはみな大きな家に住んでいました。
その庭に季節の植物を植えて家の中から眺めて楽しんでいました。
しかし、山一面に広がる紅葉を見るためには外に出かける必要があります。
これを紅葉狩りと呼んでいたのが言葉のルーツ。
なぜ花見のように紅葉見ではなく紅葉狩りのか?
その理由は、平安貴族たちの間に存在する独特のルール。
貴族たちは基本的に平安京の外には「自由に出かける事は出来なかった」。
政治などに携わり、普段は都の中で生活していた貴族たちが平安京の外に出るのは特別な目的がある場合のみ。
例えば、
物詣で(ものもうで) – 神社やお寺をお参りする
物見 – お祭りや行列を見に行く
狩り – 鷹狩り
などのみ。
貴族が移動する際には主に牛車や馬に乗らなければなりません。
これは自分の足で歩く事がだめとされていたから。
貴族としてのメンツや格を守るため。
すなわち、歩くことは「下品である」と考えられていたとのこと。
このように簡単に山に出かけるわけにはいかなかった貴族たち。
どうしても紅葉を楽しみたい。
そこで、「狩り」という言葉を使いました。
狩りをする際には獲物を探しながら歩くのが普通。
表向きを「狩り」と表現しておけば自分の足で歩いたとしても下品とは考えられません。
貴族の体裁を保ちながら堂々と紅葉を鑑賞可能。
この貴族ルールで生まれた紅葉狩りという言葉は時代が経てもそのまま残りました。
やがて庶民の間にも紅葉鑑賞に出かける事を紅葉狩りと呼ぶように。
最後にNHKコレクションの中から美しい紅葉の映像集
栗駒山 (宮城県・秋田県・岩手県)
3県にまたがる山で観られる絶景。
空からの眺めは通称、神のじゅうたん。
栗林公園 (香川県)
夜にはライトアップされる庭園。
紅葉は船上からの景色も計算されて造園されました。
鏡のように風景を映す水面の紅葉も幻想的。
由良川橋梁 (京都府)
橋梁のたもとにたたずむ山村「紅葉」さん。
と、NHKが撮影した美しいもみじの数々を紹介して終了。
結論
というわけで、
「紅葉狩りはなんで狩りっていうの?」は、
「狩りじゃないとお下品だったから」
でした。
解説してくれたのは
京都ノートルダム女子大学の鳥居本幸代名誉教授。
鳥居本 幸代(とりいもと ゆきよ、1953年 – )は、日本の服飾文化史学者、京都ノートルダム女子大学教授。
1975年同志社大学家政学部を卒業[1]。1977年京都女子大学大学院家政学研究家被服科修士課程修了[1]。
1991年神戸女子短期大学助教授、1993年姫路短期大学助教授、1998年姫路工業大学環境人間学部助教授[1]。
2003年に京都ノートルダム女子大学生活福祉文化学部教授に就任した[1]。
(Wikipediaより)
京都ノートルダム女子大学(きょうとノートルダムじょしだいがく、英語: Kyoto Notre Dame University)は、京都府京都市左京区下鴨に本部を置く日本の私立大学である。1961年に設置された。大学の略称はダム女(ダムじょ)。
教育理念
「徳と知」を建学の精神とし、社会と国際社会の平和に貢献できる感性豊かな女性の育成を目指して教育に取り組む。なお、「徳と知」は「virtue and knowledge」と訳され校歌の歌詞にも入っている。
沿革
1833年 マザーテレジア・ゲルハルディンガーによって、ドイツのバイエルン王国にノートルダム教育修道女会創立。以降、ヨーロッパで、学校、幼稚園、障害者の介護等の教育活動に携わる。
1847年 マザーテレジア・ゲルハルディンガーと4人のシスター、渡米。貧しい移民の子供たちの教育に携わる。
1948年 米国セントルイスから修道女会の4人のシスターが京都に派遣される。
1952年 ノートルダム女学院中学校設立。
1953年 ノートルダム女学院高等学校設立。
1954年 ノートルダム学院小学校設立。
1961年 ノートルダム女子大学創立。文学部英語英文学科開設。
1963年 文学部生活文化学科開設。
1999年 大学名を「京都ノートルダム女子大学」と改称。
2000年 文学部を人間文化学部と改称。人間文化学科、生活福祉文化学科、生涯発達心理学科開設。(生活文化学科を改組)
2002年 大学院人間文化研究科応用英語専攻(修士課程)開設。
2003年 大学院人間文化研究科生涯発達臨床心理学専攻(修士課程)開設。
2004年 大学院人間文化研究科生活福祉文化専攻(修士課程)開設。
2005年 心理学部心理学科開設。(生涯発達心理学科を改組) 大学院心理学研究科発達・学校心理学専攻(博士前期課程)、臨床心理学専攻(博士前期課程) 開設。(生涯発達臨床心理学専攻(修士課程)を改組)また、心理学専攻(博士後期課程)を開設。大学院人間文化研究科人間文化専攻(修士課程)開設。
2007年 生活福祉文化学部開設。(生活福祉文化学科を改組)
2013年 心理学部心理学科現代心理専攻開設。(発達心理専攻より名称変更)
2017年 現代人間学部福祉生活デザイン学科、心理学科、こども教育学科開設。(生活福祉文化学部、心理学部を改組)
(Wikipediaより)
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