今回は、チコちゃんに叱られる! ▽サケの驚異▽ポリフェノールとは▽スローインの謎 初回放送日: 2022年11月11日の番組内容を紹介。
なんで鮭は広い海から生まれた川に戻って来られるの?
なんで鮭は広い海から生まれた川に戻って来られるの?
本日の最初の話題。
まずは、ゲスト紹介。
本日のゲストは、大竹まことさんとヒコロヒーさん
早速一問目に。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中でお魚をきれいに食べられるステキな大人ってだーれ?」
大竹さん、自信がありそうですが、岡村さんの指名で、ヒコロヒーさんが回答者に。
チコちゃんから、鮭の漢字から、11月11日がサケの日であることの紹介。
そして、鮭の生態を説明。
チコちゃん「なんで鮭は広い海から生まれた川に戻って来られるの?」
ヒコロヒーさん「そういうふうにできている。」といった答えになっていない回答。
正解に至らずられちゃいました。
チコちゃんの答えは、「方位磁石を持っているから」
方位磁石を持っているから
解説してくれたのは、北海道大学の上田宏名誉教授。
川で生まれた鮭が海を目指すのは豊富なエサを求めて。
鮭は1月~3月の寒い時期に川の上流で卵から孵化。
しかし、川にはエサとなるプランクトンが少ない。
そこで、4月~5月になるとたくさんのエサを求めて海へ。
1年目:オホーツク海
2年目 春~秋:ベーリング海
2年目 冬:アラスカ湾
4年目 秋:(ベーリング海を経由して) 日本の生まれ故郷に戻ります。
日本から約5000kmも離れた所から帰ってきます。
なぜ川に戻るのか?
海よりも川の方が産卵するには安全な場所だから。
特に川の上流は天敵が少なく、海のように荒れる事も無い穏やかな環境。
そのため、生存率アップ。
どこの川でもいいのでは?と考えますが、自分が生き残った川が最も安全なはずであるという生存本能。
そのため、生まれ故郷を選択。
どのようにしてこのような長い距離を泳いで戻ってくることができるのか?
地球には人間には感じる事が出来ない磁力が存在しています。
この磁力に針が反応して方角を調べる道具が方位磁石。
鮭は鼻の粘膜で地球の磁力を感知して生まれた川に戻っている可能性が研究者から指摘されています。
ベーリング海から日本に帰って来る鮭の泳ぐルートが磁気の線にキレイに沿っている事から。
そして日本の近くまでたどり着きます。
そこからなぜ自分の生まれた川にピンポイントに帰って来られるのか?
ニオイをかぎ分けているとのこと。
鮭が持っている匂いを感知する細胞の数は人間の約5倍。
水に溶け出したアミノ酸などを匂いとして認識しています。
川の石がヌルヌルしているのは微生物の集まり。
その微生物が匂いの素となるアミノ酸を放出。
川の環境によって微妙に異なる微生物の発するアミノ酸を敏感にかぎ分けて自分の生まれた川を認識。
方位磁石+生まれ故郷の匂いのセットで、鮭は生まれ故郷に帰ってくるとのこと。
実際に北海度の長流川(おさるがわ)と天塩川(てしおがわ)のアミノ酸分析でも異なる多い種類は異なります。
人間でも水の違いは分かるか?
ソムリエの田崎真也さんが登場。
田サケ真也さんとなり川の水の匂いをチェック。
東京湾に流れ込む4つの川(鶴見川、多摩川、荒川、江戸川)の水の匂いを嗅ぎ分けられるか。
川の水は飲めませんので、香りだけの評価。
最終的には、2択まで正解を絞り込みますが、最後に間違えて終了。
結論
というわけで、
「なんで鮭は広い海から生まれた川に戻って来られるの?」は、
「方位磁石を持っているから」
でした。
解説してくれたのは
北海道大学の上田宏名誉教授
水産学博士・医学博士 北海道大学名誉教授・公益社団法人北海道栽培漁業振興公社技術顧問。サケが生まれた川(母川)を記憶して川から海に下り、大海原を数年間大回遊し、子孫を残すために母川に回帰して繁殖して死んでいく不思議を、嗅覚による母川のニオイをかぎ分ける能力、ホルモンにより母川のニオイを記憶して想起するメカニズム、バイオテレメトリーによる回遊行動についてお話しします。
専門分野魚類生理学(感覚神経生理学・神経内分泌学・行動生理学)
経歴・プロフィール
1951 年
札幌生まれ
1980 年
北海道大学大学院水産学研究科博士課程単位取得退学 水産学博士
1981-82 年
日本学術振興会奨励研究員(北海道大学・基礎生物学研究所)
1983-91 年
産業医科大学助手・講師
1985-87 年
米国ウースター実験生物学研究所研究員・米国NIH奨励研究員(ノースカロライナ大学)
1989 年
医学博士
1991 年
北海道大学水産学部助教授(洞爺湖臨湖実験所)
2001 年
北方生物圏フィールド科学センター・大学院環境科学院教授
2015 年
北海道大学名誉教授
2017 年
公益社団法人北海道栽培漁業振興公社技術顧問
(大学HPより)
北海道大学(ほっかいどうだいがく、英語: Hokkaido University)は、北海道札幌市北区に本部を置く日本の国立大学である。略称は北大(ほくだい)[注釈 1]。
旧帝国大学7校の一つであり、THE大学ランキング日本版2022では国内第6位、社会貢献の取り組みを示すインパクトランキングでは世界10位・国内1位に数えられる[3]。
概観
札幌キャンパス正門
北大第一農場・ポプラ並木(札幌キャンパス)
附属図書館本館付近(札幌キャンパス)
エルムの森(札幌キャンパス)
大学全体
北海道大学は、日本初の学士授与機関として1876年(明治9年)に設立された札幌農学校を前身とする総合大学である[4][5]。12学部・21大学院を擁する[6]。
札幌農学校の源流は1872年(明治5年)設立の開拓使仮学校(東京府芝)および同校が北海道札幌郡に1875年(明治8年)に移転・改称した札幌学校であるが、北海道大学の歴史においては「前史」とされており、両校の開校日は、現在の北海道大学の創立記念日とは位置付けられていない[7]。大学全体としては学制(明治5年太政官布告第214号)の規定に基づく学士の称号の授与権限が付与された1876年(明治9年)を北海道大学の創基(創立)[注釈 2]年としている。
札幌農学校はその後東北帝国大学農科大学(1907年)、北海道帝国大学(1918年)、北海道大学(1947年)を経て、現在の国立大学法人北海道大学(2004年)に至る。現在の国立大学法人北海道大学は、創基以来4番目の組織再編とされており、北海道大学の時代区分においても、国立大学法人化以前の北海道大学とは区別されている。
2021年の時点で、北海道大学の卒業生・教員1名(鈴木章)と教員1名(ベンジャミン・リスト)の合計2名がノーベル化学賞を受賞している。また、2010年ノーベル賞受賞者根岸英一も北海道大学触媒科学研究所の特別教授として務めた。
建学理念、学風および特色
フロンティア精神、実学の重視、全人教育、国際性の涵養などが建学理念であり、現在も基本理念として掲げられている[9]。
札幌農学校初代教頭(事実上の校長)[10]であるウィリアム・スミス・クラーク(米国マサチューセッツ農科大学前学長)が、米国帰国にあたり札幌近くの島松(恵庭市)で馬上から叫んだという「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)は、現在でも北海道大学のモットーとして受け継がれている[11]。クラークは、札幌農学校の開校式において、「lofty ambition」(高邁なる大志)との言葉を発しており、開校および帰国に際していずれも大志との語を使っていることから、その信念が一貫していたことが分かる[注釈 3]。
また、クラークが説いたキリスト教精神により、官立学校にもかかわらず学生の間で「イエスを信ずる者の誓約」が行われ、内村鑑三などのクリスチャンを生んだ。彼らは札幌バンドと呼ばれ、日本におけるプロテスタントの先駆者として活躍した。札幌農学校1期生の伊藤一隆は、1876年(明治9年)着任わずか2日後のクラーク立ち合いのもと、クラークの宿舎において英国国教会(CMS)の宣教師ウォルター・デニングが洗礼を授けた[13][14]。キリスト教に関しては後に衰退していくが、伊藤一隆や内村鑑三らが引き継いでいくこととなった。現在でも北海道大学の校歌の旋律はキリスト教の賛美歌と同一である等、国立大学でありながらキリスト教の文化が残る一面も見受けられる。
このような札幌農学校の精神が、同大の基本理念に引き継がれている。
男女共同参画社会基本法に基づくポジティブ・アクションに取り組んでおり、全研究者の中の女性研究者比率が2020年までに20%になるよう努めるとする数値目標を掲げ推進している。北東アジア地域との連携を重視しており[15]、大韓民国、台湾、中華人民共和国などの大学とも相互協定を結んでいることだけではなく、2005年4月12日に連携協力協定を締結した青年海外協力隊 (JICA) へも定期的に隊員を送り出し[16]、また研修員を受け入れている[17]。これは、同大学の建学の精神にも謳われている、国際性豊かな若者を育成することを重視しているためである。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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