今回は、チコちゃんに叱られる! 新年拡大版SP▽マラソンの謎▽表彰式の曲▽墨とは 初回放送日: 2024年1月5日の番組内容を紹介。
なんで表彰式はあの曲になったの?
なんで表彰式はあの曲になったの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、たくさんの賞を受賞してきたステキな大人ってだーれ?
2問目は、「なんで表彰式はあの曲になったの?」
チコちゃんの答えは、「ヘンデルがイマイチ売れなかったお気に入り曲を大ヒット作にねじ込んだから。」
ヘンデルがイマイチ売れなかったお気に入り曲を大ヒット作にねじ込んだから
表彰式のあの曲「見よ 勇者は帰る (原題:See the conqu’ring hero comes!)」を作ったのはドイツ出身の作曲家であるヘンデル。
イタリアで数々のオペラ曲を作ってヒットを飛ばし、あの曲を作った当時はイギリスで活躍。
ヘンデルの大ヒット作と言えば音楽劇「マカベウスのユダ」
公開された1747年にはイギリスの地において国王派と反国王派が激しい争いを繰り広げているという状況。
そして戦争に完全勝利した国王派の英雄カンバーランド公爵の活躍を描いた音楽劇が「マカベウスのユダ」。
3部構成で60曲以上が登場するこの劇。
争いが終わって歓喜に満ちた国内の空気にマッチしていた事から大ヒット。
この劇のヒットで味を占めたヘンデル。
翌年に同じテーマを扱った「ヨシュア」という音楽劇を創作。
しかし、ヘンデルの思惑は外れて「ヨシュア」はヒットせず。
この「ヨシュア」に登場するのがあの曲「見よ 勇者は帰る」
この曲は、ヘンデルがヒットを確信するほどの自信作でした。
このままではイマイチな作品に埋もれてしまうと危惧したヘンデル。
大ヒット作の「マカベウスのユダ」にねじ込みます。
国王派と反国王派による戦争がテーマという二作品。
「マカベウスのユダ」に登場する英雄の凱旋シーンに「見よ 勇者は帰る」を差し込むことに。
そうすると、より作品の完成度が増して知名度アップ!
こうして軍の式典、鉄道の開業式典、キリストの復活祭などで「見よ 勇者は帰る」が多用されるようになりました。
讃える時の定番曲化。
そこからベートーヴェンが編曲したり、賛美歌になったりとさらに知名度が増すことになります。
1908年のロンドンオリンピックでも演奏されました。
日本でも海軍の運動会の表彰式で流れたりと国境を越えて表彰式の定番曲に。
ちなみに「マカベウスのユダ」の作中で流れる「見よ 勇者は帰る」は、かなりアップテンポ。
最後に、日本語の歌詞を秋川さんが歌って終了。
結論
というわけで、
「なんで表彰式はあの曲になったの?」は、
「ヘンデルがイマイチ売れなかったお気に入り曲を大ヒット作にねじ込んだから」
でした。
解説してくれたのは
日本ヘンデル協会の三ヶ尻正さん。
三ヶ尻 正
みかじり ただし(MIKAJIRI Tadashi)
大阪音楽大学大学院
舞台言語表現法他 講師
学歴・学位
東京大学文学部英語英文学科卒業(学士)
専門分野・主な担当科目
[専門分野]ヘンデル研究、オラトリオ研究、英独羅ディクション(歌唱発音)、対訳・字幕制作
[担当科目]リブレット研究A、舞台言語表現法A
研究テーマ
17世紀から現代にいたるオラトリオの歴史研究、ヘンデルのオラトリオの構造研究、ヘンデルおよび同時代の声楽作品台本の政治との関係の研究、など。
(大学HPより)
(Wikipediaより)
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