NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

チコちゃんに叱られる!

チコちゃんクイズ

なんでハワイのお土産といえばマカダミアナッツチョコレートなの?→それがマモルの夢だったから

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今回は、チコちゃんに叱られる! ▽バスケットボールの謎▽ハワイ土産といえば? 初回放送日:2024年6月14日の番組内容を紹介。


なんでハワイのお土産といえばマカダミアナッツチョコレートなの?





なんでハワイのお土産といえばマカダミアナッツチョコレートなの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、海外旅行に慣れているステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「なんでハワイのお土産といえばマカダミアナッツチョコレートなの?。



チコちゃんの答えは、「それがマモルの夢だったから。」




それがマモルの夢だったから


今回は、ファミリーチコトリーで紹介。


語りては、余さん




19世紀後半のハワイ王国の経済のおよそ半分を支えていたのは砂糖産業でした。


しかし、サトウキビ農園での労働力は常に不足していました。


そこでハワイ王国は移民を頼って海外からの労働者を募りました。


これに応じた日本人の一人が山口県で農家を営んでいた滝谷源助。




農家の貧しい暮らしから抜け出せると夢を抱いて妻と共にハワイに渡りました。


基盤を作ってハワイで生活。


1889年には滝谷夫婦に息子の滝谷勘一が誕生しました。



商才を発揮した勘一は、ソーダやアイスクリームの販売業で財を成してハワイで成功者となります。



そして勘一のもとに三男として生まれたのがマカダミアナッツチョコレートの生みの親、滝谷守さん。





守は生後すぐに山口県の親戚の家に預けられました。


成人するまでは日本で育ちました。


守が20歳を迎えた時に、父親の勘一からハワイに戻るようにと呼び戻されます。


この頃の勘一はハワイで6つの会社を経営していました。




そのうちの一社であるソーダ飲料を製造する会社を手伝う事になりました。


初めてハワイに渡った守は現地に早く馴染もうと一から英語を学びます。


それから4年後の24歳の時にハワイで日系人の妻・愛子と結婚。


父の仕事を手伝っているうちに守は自らの会社を立ち上げたいという夢を抱くようになります。


しかし、父親の会社を助けたいという思いも。


守の背中を押してくれたのは妻の「自分の好きなようにおやりなさい。」という言葉。


これに一念発起した守は起業家としての一歩を踏み出します。


しかし、その矢先1941年の真珠湾攻撃が。


このため、守が勤めていたソーダ飲料の会社はアメリカの管理下に置かれる事になりました。


守は経営の自由を奪われます。


戦争が終わると父の勘一は経営から身を引く決断。


守は起業の夢を抱きながら生活の安定を優先せざるを得ない状況となりました。


アメリカの管理下を離れた会社を軌道に戻すために尽力しました。


そして5年後、守が38歳の頃に経営状態は改善。


ここで改めて起業する夢に向かう事に。


守の目に留まったのがサトウキビ農園を囲む防風林。




そこに植えられていたのはマカダミアの木。


当時は商品価値が低かったマカダミアナッツ。


試食してみると「これはいける」と確信。


早速1本4ドルのマカダミアの苗を5000本(現在の価値で約7200万円分)購入。


これは大きな出費で賭けに近いような金額。


順調に実をつけていよいよ収穫というその時、折悪くハリケーンがハワイを襲ってマカダミアの木は全滅。


また一からのスタートとなった守さん。


ハワイで人気の無いマカダミアナッツをどうしたら売れるようになるのかを思案。


姪っ子のキャレンが守の口にチョコレートを放り込みます。


そこで偶然マカダミアナッツとチョコレートの相性の良さに気付いた守さん。




全くお菓子作りのノウハウが無い状態から研究をスタート。


何百種類もあるチョコレートとマカダミアナッツの相性を自ら食べ比べ。


ナッツ本来のクリーミーさが損なわれないような味を追求。


さらにマカダミアナッツにも加工。


こんがりと炒る事で新鮮な味を封じ込めることに。


開発スタートから10年が経つ頃に世界初のマカダミアナッツチョコレートが誕生。




守は自らの足で営業を行ってハワイ在住の日系人に試食してもらう日々を送ります。


その努力もむなしくハワイでは全く売れず。


日本人には好評の味だったものの、ハワイの現地人はマカダミアナッツを好んで食べる習慣が無かったため、なかなか受け入れられず。


最初の月は800ドルの収入に対して1600ドルの支出で大赤字。


頭を抱える守さん。


ちょうどその頃日本でハワイ観光ブームが巻き起ります。


お土産需要を狙うという作戦に変更しました。


1964年の東京オリンピック開催を控えた日本では観光目的の海外渡航が自由化を認める動きが活発化。


そこで守が日本人観光客向けに考えたのが手提げ箱。





手提げ箱のパッケージを作ることで手に取りやすくなりました。


また、ハワイらしい土産という印象を強める事に成功。


このような取り組みで、大人気に。


守が自社の社員に対して常々口にしていたのが「自分の商品に愛情を持とう。マカダミアナッツチョコレートを信じよ」。


こうしてマカダミアナッツチョコレートの夢をかなえた守さん。


1988年、75歳でこの世を去るまで生涯マカダミアナッツチョコレートに心血を注ぎました。


守さんの遺志は今でも形を変えず、生み出した当時のレシピそのままで今もハワイ土産の定番となりました。




結論


というわけで、


「なんでハワイのお土産といえばマカダミアナッツチョコレートなの?」は、


「それがマモルの夢だったから」


でした。
 



解説してくれたのは


マモルの甥のトニー・タキタニさん





今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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